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NHKの大河ドラマ「真田丸」が好評です。山間の領主だった真田親子が、その智謀によって豊臣秀吉、上杉謙信、徳川家康といった名将と深い関わりをもつまでになるのですから、その人気にも共感できます。徳川勢を二度退けた上田城は「落ちない城」としてパワースポットになっていました。

上田城址に復元された櫓と東虎口櫓門


上田城址には六文銭が付いた赤い兜がありました


眞田神社は勝負運によいと評判です


長野県上田市。千曲川の流れる信州の街は、上信越自動車道の上田菅平ICや新幹線駅があることもあり、菅平や別所温泉、蓼科方面への観光ルートの起点として、いわば通過点といった感が強い場所でした。

しかし、上田を訪ねて驚きました。街は他県ナンバーの乗用車や観光バスがあふれていたのです。

理由は簡単でした。現在、上田市の上田城跡公園内では平成29年1月15日までの期間限定で、「信州上田 真田丸ドラマ館」が公開されており、夏休み前の7月1日で42万人もの来場がカウントされています。

NHKの大河ドラマ「真田丸」の放送が、真田氏発祥の地である信州の街を大きく様変わりさせたのです。

ご存知のように脚本は三谷幸喜、主人公の真田信繁(幸村)に堺雅人、信繁の父・昌幸に草刈正雄、兄・信幸に大泉洋。その周囲も徳川家康に内野聖陽、豊臣秀吉に小日向文世、石田三成に山本耕史、加藤清正に新井浩文と名優がずらり。

いかにも三谷風な時代ものにしては斬新なセリフも印象的。大大名に翻弄されながらもその名を天下に轟かせた真田一族の生き様と相まって、大河ドラマ「真田丸」は評判になっています。

真田氏の発祥の地が上田の街を見下ろす真田の郷です。

上田菅平ICから菅平方面に向かうとすぐの高台で、真田氏本城跡や真田昌幸のお墓が残る長谷寺、真田昌幸の文書などが伝わる山家神社などが点在しています。

武田氏に仕える真田氏は、信州真田の郷の一領主でしたが、武田氏滅亡後は上杉氏や徳川氏、北条氏と対峙、ときには手を組み、徐々にその智謀と戦の巧者ぶりで名を広めていきます。

発祥の郷である真田地域、徳川氏に建てさせた上田城がある上田地区、交通の要衝である沼田城(群馬県)、沼田と上田間にある山城・岩櫃城などを治め、太閤秀吉の時代に、その力は徐々に大きくなっていったのです。

上田城や真田の郷を訪ねてから沼田まで。今、このルートをドライブする人が増えています。真田氏所縁のパワースポットめぐりも、なかなかいいものです。

境内の眞田井戸。井戸内に抜け穴があったのは「忍」を使っていた真田氏らしいですね


真田の郷の長谷寺。石門には六文銭が


長谷寺の真田氏のお墓


現在、大勢の観光客を集める上田城(城跡公園)は、明治7年に廃藩置県によって廃城となり、本丸にあった7つの櫓は現存する西櫓以外は解体、売却されています。

実はこの城は寛永3年に、上田に移封された仙石忠政によって再建されたものです。

その後、移築されていたふたつの櫓が転売されると聞いた上田市民たちの活動によって、昭和16年に現在の東櫓と南櫓が復元されています。 

さらに、平成6年に南櫓と北櫓を繋ぐ東虎口櫓門と袖塀が復元されて現在に至っています。

上田城は真田昌幸が築城したものです。しかし、その資金を捻出したのは徳川家康です。上杉氏に対する徳川氏の最前線基地というのがその名目でした。

しかし、それは真田氏の策でもあります。

築城のわずか2年後の天正13年(1585年)、上田城は上杉氏の最前線基地となって、徳川氏との第一次上田合戦が起こるのです。

その戦いで、上田城城主の真田昌幸は、大軍勢の徳川軍を破ります。

さらに、1600年。関ヶ原に東軍として参戦する途中だった徳川秀忠率いる徳川軍を真田昌幸と信繁が撃退。第二次上田合戦でも上田城は落ちませんでした。

こんな史実があるために、上田城は「不落城」として名を知られます。

現在、上田城跡には眞田神社が建立されています。

上田城の姿が消えることを憂いた上田の篤志家たちが、一度買い取った本丸の土地を寄付して、代々の藩主を祀る神社を建立したのです。

上田城は真田氏、仙石氏、松平氏と城主が変わっています。それでも、眞田神社と名付けられたのは、最初に築城し、大大名と対峙した頭脳と度胸の持ち主である真田昌幸をはじめとする真田氏の人々が、今でも上田で愛されている証しでしょう。

眞田神社は日本一の智将と名高い真田昌幸、信繁らを祀っていますので、知略や勝運にご利益があると伝わっています。

人気のお守りは「眞田神社不落城 必勝守」でした。
※今回のプレゼントは「必勝守」です。

真田氏の文書が残る山家神社


岩櫃城があった岩櫃山はハイキングも人気


沼田にある正覚寺


これからの観光シーズン。真田氏の足跡を訪ねるパワースポットめぐりもいいものです。

真田氏は戦国時代以降の大名に見られるように、日本の地を転々としています。

真田氏は上田郊外の小さな領地をはじめ沼田周辺を治めていました。信繁自身は真田の領地を出て、上杉氏や豊臣氏の人質として新潟や京都に移っています。

さらに、真田氏は豊臣秀吉の家臣として北条征伐にも参加していますし、朝鮮出兵時には名護屋城に陣を設けています。

関ヶ原合戦後に西軍についた昌幸と信繁は高野山九度山に蟄居を命じられ、東軍についた信幸は長野県松代の城主となります。

日本の各地に真田氏の足跡を訪ねるのも楽しいおでかけです。

上田城を訪ねた後は、真田の郷、日本ロマンチック街道をたどって沼田をめぐるのもいいでしょう。

真田の郷の長谷寺の本堂裏の深い森の中には真田昌幸と幸隆夫婦のお墓がありました。

「真田丸」でファンになった人々が訪ねるのでしょう。生花が供えられ、お墓を囲む石段の上には5円や10円が、真田氏の紋である「六文銭」型に置かれていました。

「森を大事にしなさい…」といった主旨の昌幸の文書が残る山家神社の境内には小さなお土産店ができており、観光客が覗いていました。

一過性のものかもしれませんが、真田氏の魅力によって今の世に山間の小さな神社に人がやって来る…。これも領主真田氏の贈り物かもしれません。

上田からは真田氏の頃には思いもよらなかった近代施設の象徴のような八ツ場ダム建設地、容姿に特徴がある岩櫃山の麓を通って沼田へ。

沼田には真田信幸が治めた沼田城址の公園や信幸の妻だった大蓮院殿のお墓がある正覚寺があります。

大蓮院は徳川家康の重臣本多忠勝の娘で小松姫といい、「真田丸」では本多忠勝を藤岡弘、が、小松姫を吉田羊が演じています。

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< PROFILE >
遠藤 里佳子
旅行雑誌ライター。国内外の旅を多く取材。全都道府県を制覇(通過ではなく宿泊をしてカウント)したのは32歳のとき。ハワイやカナダ、オーストラリア、東南アジア、中国など太平洋圏に詳しい。
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