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  3. 那須高原の山深くにある木造3階建ての湯治宿 栃木県那須高原・北温泉旅館
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那須高原にある北温泉旅館は、秘湯中の秘湯と呼ばれる温泉地だ。クルマで直接乗りつけることができないため、遊歩道を散策しながら宿へアプローチすることになる。温泉プールができるほど湯量が豊富で、湯治宿としても人気が高い。


遊歩道の先に木造の宿が姿を現す。その手前には大きな温泉プールがあった
北温泉旅館
所在地:栃木県那須郡那須町湯元151
泉質:単純泉、弱食塩泉、鉄泉
源泉:56度/50.8度/49.6度
入浴料:大人700円/小人400円
日帰り入浴営業時間:8時~16時
TEL:0287-76-2008
まだ冬の訪れを迎える前の某日、クルマは那須高原へと向かっていた。

今回向かう温泉は、秘湯中の秘湯として人気の高い、北温泉旅館だ。
温泉好きである、かの、つげ義春お気に入りの温泉宿ということからも、にやりとする読者もいるかもしれない。

いまとなってはつげ義春についての説明が多少必要だろう。

1970年代から80年代にかけて、田中角栄がぶちあげた『日本列島改造論』(72年)に象徴されるように、世の中は高度経済成長の真っただ中にあった。その片隅で好景気の波に乗れぬまま、発展から置き去りにされていく人たちもいた。

「ゲゲゲの鬼太郎」を生んだ水木しげるのアシスタントだったつげは、ペン画による独自の作風でイラストや漫画を描いていく。
描かれるのは旅行先の風景や人々、自分の日常の姿や、シュールな夢だ。

急成長する時代から置き去りにされていく地方文化や人々の暮らしを、ニヒリズムを漂わせながら、シニカルに描いている。
明るいテーマとはいえないにもかかわらず悲劇的にならないのは、ときおりユーモアややさしさが垣間見えるからだろうか。
自らの不遇な視点からの共感が作品に温かみを添えていて、だからこそ時代を超えて、読む人の心に訴えかけてくるのだろう。

さて、北温泉については、つげは77年に漫画ではなくイラストを描いている。
温泉宿へと続く道を歩いていく自分の後ろ姿と、夜の露天温泉プールにひとりぽつんと浸っているシルエット。いずれも写真で瞬間を切り取ったかのようなひとコマだ。  

つげがイラストを描いてからすでに35年が経過し、昭和が終わってもう20年以上 にもなる。
あれから宿はどのように変化を遂げているのか。
正直なところ、なにもかもがすっかり変わってしまった平成の世に、“昭和的なほの暗さ”が残っているとはとても思えなかった。  

東北自動車道・那須ICを出て那須街道を北に向かう。
約20分ほどで那須湯本温泉街を通過。鳥居を左手に見ながらさらに上っていく。
ここから上は那須高原道路、ボルケーノハイウェイだ。
標識にしたがって那須岳のほうに左折、しばらく行くと北温泉旅館の看板が見えてきた。ここからは約1kmで着く。  

だが少し走ると、クルマでは宿へ近づけなくなった。ここへ駐車して、宿へは400mほどの遊歩道を下っていかなければならない。

クルマ1台が通るのが精一杯の整備された道を下っていくと、山の懐に温泉宿が見えてきた。
そして傍らには、まるで池のような温泉プールから、湯気が立ち上っている。
まさに、つげ義春が描いたままの風景がそこにあった。

風情のある木造3階建ての建物。  

昭和13年(1938)に起きた福島県東方沖地震の当時、北温泉旅館は100室を超える大温泉宿だった。しかし、大地震により建物はことごとく倒壊し、かろうじて難を逃れた2棟が現在も残っている。
ひとつは安政5年(1858)建立、そしてもうひとつが明治18年(1885)という年季ものだ。
昭和になってからもうひと棟が建てられ、古い時代のものほど、宿泊料金が安く設定されている。  

この地に温泉が発見されたのは、修験道の道場として、天狗と呼ばれた山伏が那須山で修行をしていた頃のことだ。
宝亀年間(770~780)に、大天狗が日光山より出羽国へ行く途中に発見したと伝えられている。
天狗が大石を投げ飛ばしたところ、湯がこんこんと湧き出るようになり、その大石は現在も残っている。

北温泉で湯宿が開業するのは江戸時代になってからだ。  

元々は、この一帯を統治する黒羽藩大関家が治めていた。下野国那須郡に存在した中世以来の豪族で、現在の大田原市に陣屋を置いていた。  

明治時代に、初代熊谷源三が温泉守となり、「岐多温泉」、「喜多湯」として世に知られるようになる。  

明治19年に編纂された『日本鑛泉史』には「岐多温泉」の表記はない。
栃木県那須郡湯本村字北湯の住所表記に登場するのは「相ノ湯鑛泉」だ。

「位置景況」の説明書きに“この温泉を「瀧の湯」、「天狗の湯」などと唱える者あり”という表記があるのだが、じつはこれらの名称は、現在の北温泉の湯船の名として継承されている。  


「天狗の湯」の壁には巨大な天狗の面が。ランプの明かりがさらに風情をかきたてる
明治時代に建てられた湯小屋の内湯は「相の湯」という。小さな湯船だが、浴槽や床は鉄分で赤銅色に変色している。少々熱めだが、湯量も多く気持ちいい。もちろん源泉かけ流しだ。  

源泉をたどると、湯口からあふれ出たお湯は山の斜面を滝のように流れ落ちており、これらは「滝の湯」と言われている。元禄4年(1691)に建立した社に黒不動を祀ってあることから、打たせ湯を「不動の湯」「滝湯」と呼んでいる。

それから建物のいちばん奥には混浴の内湯があるのだが、これが「天狗の湯」だ。壁には巨大な天狗の面がふたつ掲げてあり、この温泉の象徴ともいえる。
無色透明で、肌当たりがやわらかい。飲泉もでき、口に含むと軽い渋みとミネラル成分が感じられる。

このほか、女性専用の内湯である「芽の湯」があり、外には温泉プールとも呼ばれる15m×10mの「泳ぎ湯」がある。
全部で9種の湯船があるというから、よほど湯量が豊富なのだろう。  

ところで、北温泉には数々の仏像のほか、周囲にはいくつかの祠がある。

天狗の湯の先の社に祀られているのは鬼子母神だ。

天狗の投げ石のそばには馬頭観音。滝の湯の傍らで北温泉を見守っているのは石像の黒不動だ。

さらに、玄関脇の急な石段を登っていくと、北温泉の守り神を祀る温泉神社へとたどり着く。格子の隙間から天井をのぞくと、日光東照宮を思わせる絵が描かれており、色鮮やかな龍や朱雀が踊っているのがわかる。

天狗、鬼子母神、不動明王、馬頭観音、龍神……。

仏教に造詣があり、勘のいい人はピンとくるかもしれないが、これらから想像されるのは日蓮宗との結びつきだ。

とくに鬼子母神は、法華経では守護神としての役割をもっている。

鎌倉時代に活躍した日蓮は、貞応元年(1222)に千葉県安房小湊に生まれ、鎌倉で修行している。「立正安国論」を著して、鎌倉幕府の当時の事実上の最高権力者である北条時頼に諫言したものの、逆にそれが疎まれる原因となり、伊豆、のちに佐渡へと流刑される。
最期は山梨県南巨摩郡身延町の久遠寺で没しており、久遠寺は日蓮宗の総本山となっている。  

その身延山(1153m)の峰には妙法両大善神が棲むと言われ、両という漢字から推測できるように、二体の天狗のことを指している。
また、身延山の裏鬼門である西南の七面山(1989m)には七面大明神が祀られており、この神は赤い龍へと姿を変えるという。

下野国の山深くに位置する温泉地と日蓮にどのような関わりがあるのかはわからないが、そのつながりをひも解いていくのも、この温泉を訪れるひとつの楽しみになるかもしれない。
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那須ICから県道17号(那須街道)経由で約20分。公共駐車場にクルマを停めて約10分ほど歩かなければならないので、荷物はコンパクトにまとめたほうがいい。駐車場脇には駒止めの滝展望台が新しくでき、眺望を楽しめる。冬でも営業しており、駐車場までは問題なくクルマで行けるがチェーンかスタッドレスは必須。公式サイトでは交差点などの写真つきでアクセスが紹介されている。
http://www9.ocn.ne.jp/~kitanoyu/mokuj.htm
< PROFILE >
長津佳祐
観光やレジャー、スローライフを中心に編集・撮影・執筆を手がける。ブログ「デュアルライフプレス」
http://blog.duallifepress.com/
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